目次
独断と偏見!台湾南部・高雄の観光地21選
高雄の観光地といえば、これら以外にもあるかと思いますが、代表的な観光地をざっとあげてみました。
今回は、⑮高雄市立歴史博物館について、詳しくお話させていただきます。
高雄でのwi-fi(ネット環境)について
海外だと、宿泊するホテルにはほぼ無料WiFiが入っていると思いますが、外でも調べ物がしたくなったり、メールチェックしたくなったときに困りますよね。
台北旅行のときに感じたのですが、iTaiwanなどの無料のWiFiサービスはたしかにありますが、実際はとても使えたものではありませんでした。
つながっても速度はめちゃくちゃ遅いし、そもそもつながらないことが多かったです。
ですので、①WiFiルーターを日本で借りて持って行くか、②SIMカードを高雄國際機場で借りるなどした方がいいと思っています。
僕は恥ずかしながらインターネットとかスマホ環境とか詳しくないので、海外でそうしたサービスを利用しようとして、もしうまくいかなかったら困るので、僕はいつも日本の空港で『イモトのWiFi』を利用しています。
日本のサービスだと、きちんと説明を受けられますし、なにより安心ですよね。『イモトのWiFi』僕のオススメです。
高雄市立歴史博物館とは
『高雄市立歴史博物館』では、高雄市の歴史について収集、展示されています。
1938年(昭和13年)、日本統治時代に建設された建物は、日本の清水建設が設計、建設しました。
当時は、高雄市庁舎として使用されていましたが、1998年から『高雄市立歴史博物館』として開館しました。
高雄市立歴史博物館 | |
所在地 | 803 高雄市鹽埕區中正四路272號 |
電話番号 | +886 7 531 2612 |
営業時間 | 9:00~17:00 |
休業日 | 月曜日 |
URL | http://khm.org.tw/jpn/home01.aspx?ID=1 |
高雄市立歴史博物館への行き方
『高雄市立歴史博物館』へは、高雄捷運(MRT・地下鉄)の橘線(Orange Line)の『鹽埕埔(イェンチェンプー)』駅から徒歩で向かいます。
この駅は日本かと思うくらい、アニメがありました。
『鹽埕埔』駅の2番出口を出て、すぐ右折です。
ここをまっすぐ進みます。
目の前の建物は高雄國際會議中心という、国際コンベンションセンターです。ここを右折してください。
道なりに歩くと、すぐに高雄市立歴史博物館が見えてきます。
下記ルートで向かってください。
高雄市立歴史博物館
日本の建築が今も残っているのは感慨深いですね。
入口を入ったところ。大きな荷物は預かってくれます。
パンフレットも日本語版をもらえました。
温暖な高雄は早くから人間が住んでいたでしょうね。
瓢箪はどこでもよく使われますね。
民族衣装って、どこも美しい。
いろいろな建物と骨組み。
こんな塔は日本では見たことがないですね。
壁の彫刻?
展示物が多いので、けっこう時間がかかります。
レトロで重厚な階段と時計
二二八事件の展示
二二八事件は、高雄では市庁舎(現在の高雄市立歴史博物館)で始まりました。
港湾都市・高雄の発展についての展示
どんどん上へ登っていきましょう。
西洋列強に蹂躙されていた頃の高雄
中華圏の美って素晴らしいですね。
トイレの手を洗うところも美しいです。
二二八事件とは
『二二八事件』とは、1947年2月28日に、台北市で起きた政治的弾圧事件で、その後に台湾全土に広がっていきました。
1987年に戒厳令が解除されるまでの40年間、国民党政府から反体制派とみなされた多くの知識人・一般市民が投獄・処刑されました。
戒厳令が解除された後、1995年には李登輝総統が二二八事件について正式に謝罪し、犠牲者に対する補償のため、二二八事件記念基金会という財団を設立しました。
また、台北市の二二八和平公園などが造られたりしていく中で、市民も二二八事件について語ることを恐れなくなります。
1991年公開の『悲情城市』という映画は、二二八事件を台湾国内で初めて取り上げた作品です。
二二八事件の経緯
太平洋戦争で敗北した日本が台湾から撤退し、国民党政府の役人(外省人:中国大陸からやってきて台湾に定住している人たち)がやってきて、台湾の統治を引き継ぎました。
当初は日本の支配から解放されることを喜んだ台湾の人たちでしたが、当時の役人は極めて質が悪く、汚職・横領・強姦・強盗・殺人などに手を染める者も多く、処罰されないことも多くありました。
台湾の人たちに失望が広がる中、1947年、台北市で闇タバコを販売していた本省人(もともと台湾で生活していた人)のお婆さんに、役人が暴行を加える事件が起きます。
この暴行事件に対し、2月28日に抗議デモが起きたのですが、憲兵隊がデモ隊に発砲したことで、台湾の人たちの不満が爆発。抗争は一気に台湾全土に広がります。
台湾の人たちの怒りを買った国民党政府は、表向き対話の姿勢をしめして時間稼ぎをしながら、中国大陸に援軍を要請し、圧倒的武力で本省人を大量虐殺しました。
二二八事件後の台湾
二二八事件の後、国民党政府は、国民に相互監視と密告を強制して、反政府勢力のあぶり出しと弾圧を徹底的に行いました。
また、国民党支配に抵抗したり、共産主義に傾倒することを恐れ、台湾の知識人や社会的エリートを投獄・処刑しました。
これにより台湾の近代化が遅れたと言われています。
台湾の人たちが親日である理由
日本が台湾を統治していたのは、1895年~1945年です。日清戦争に勝利した日本は台湾を得ました。
当時、帝国主義だった日本は、初めて得た植民地である台湾を近代化させ、発展させることによって、列強に並び立とうとしました。
台湾の人たちに強制的に日本語を話させるなどの、厳しい同化政策がありました。
しかし、日本から新渡戸稲造などの一流の人材を送り込んだことで、政治的な不正は少なく、学校を作って教育レベルを向上させ、インフラも整備。
八田與一は、農業の生産性を高めるための灌漑事業、水力発電用のダム建設などを推し進めました。
日本に対する嫌悪感を持っていたものの、近代化していた台湾の人たちにとって、戦後に中国から来た自分たちより劣る野蛮な役人は受け入れがたく、不満が高まっていきました。
当時の台湾の人たちは『狗去豬來(犬が去って、豚が来た)』と揶揄しました。
犬(日本人)はうるさくても番犬として役に立つが、豚(中国人)はただ貪り食うのみで、役に立たないという意味です。
台湾の人たちが親日であるのは、日本の統治がただ良かったというわけではなく、その後の国民党政府がひどすぎたという経緯があります。
鹽埕街(塩埕街)
高雄市立歴史博物館の周囲は、塩埕区(鹽埕區)と呼ばれ、レトロな旧市街となっています。
上記のルートを、実際に歩いてみました。
高雄國際會議中心の横の交差点。
スイーツのお店『東隆堂龜苓膏』
鹽埕街を歩いてみましょう。
特に何があるというのはありませんが、のんびり歩くのは楽しい。
大きな道「大仁路」を横切ります。
さらにまっすぐ進むと、『永和小籠湯包』が見えてきます。
永和小籠湯包
小籠包が安くて美味しいと評判のお店『永和小籠湯包』です。
軒先で営業されていて、夜市のお店のような感じです。
台湾の小籠包は、本当にハズレなしですね。
永和小籠湯包 | |
所在地 | 803 高雄市鹽埕區鹽埕街35號 |
電話番号 | +886 912 436 908 |
営業時間 | 11:00~19:30 |
休業日 | 年中無休 |
URL | なし |
双妃奶茶
『永和小籠湯包』の隣の筋に、『双妃奶茶』というお店があります。
ミルクティーのお店ですが、紅茶だけでなく普洱茶や烏龍茶など、いろいろなお茶が選べるお店です。
タピオカや愛玉(寒天のようなもの)が無料で入れてもらえる人気店です。
小杯(日本の小よりずっと大きい)で30元(110円くらい)なのが嬉しい!
双妃奶茶 | |
所在地 | 803 高雄市鹽埕區新樂街173號 |
電話番号 | +886 7 521 8300 |
営業時間 | 9:00~21:00 |
休業日 | 年中無休 |
URL | なし |
最後に
高雄市立博物館と鹽埕街、いかがだったでしょうか?
帝国主義は決していいものではありませんが、台湾に送られた人が超一流の人材で、いくらか良い治政をしてくれたことが、今の台湾と日本の良好な関係を築いてくれているということは嬉しいです。
また、鹽埕街は散策でも食事でも、行ってみて損はないと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。