しばらく広島、福山に滞在していたので、この方面でいろいろ見て回りたいなと思い、以前から行きたかった備中高松城跡を見に行ってきました。
秀吉が水攻めをした城として、あまりにも有名な城ですが、実際に現地に行ったことがある方は、意外と少ないのではないでしょうか?
今回は、岡山県にある備中高松城について、お話をさせていただきます。
目次
備中高松城とは
備中高松城は、岡山市北区高松558-2にある、戦国時代に存在していた平城です。
天正10年(1582年)、織田信長の家臣だった豊臣秀吉が、まだ羽柴秀吉と名乗っていた頃に、毛利方の清水宗治の居城である備中高松城に攻め込みます。
しかし、備中高松城は周りが低湿地帯に囲まれ、ぬかるみに足元が取られてしまうため、攻めることが難しい城でした。
そこで軍師の黒田官兵衛が一計を案じ、城の周囲に堤防を築き、近くを流れる足守川をせき止めて、備中高松城を水没させてしまいます。
そのとき京都で本能寺の変が起こり、秀吉は素早く停戦交渉をまとめ、中国大返しを敢行して、天下人に登りつめていったという一連の流れも含めて、秀吉が水攻めをした城として、とても有名です。
普通の公園なので24時間・365日、見に行くことができますが、おそらく夜は真っ暗になってしまうと思いますので、明るい時間にお出掛けください。
いちおう「高松城址公園資料館」の詳細情報を載せておきます。
高松城址公園資料館 | |
所在地 | 〒701-1335 岡山市北区高松558-2 |
電話番号 | 086-287-5554 |
営業時間 | 10:00~15:00 |
休業日 | 月曜日、年末年始(12月29日~1月3日) |
URL | 『岡山観光WEB』 |
備中高松城への行き方(アクセス)
備中高松城へは、JR岡山駅から出発します。
岡山駅は、新幹線はほぼすべて停車するので、とても便利な駅ですね。
岡山駅では、在来線の10番ホーム・桃太郎線に向かってください。
桃太郎線は、岡山-総社の間を走ります。
「総社」行きの列車に乗ってください。
5つ目の『備中高松』駅で下車してください。
駅を出たらすぐ右折して、線路沿いを北西に歩いて行きます。
踏切のところを右折して、北へ歩いて行きます。
あとは、まっすぐ北に進んでいくだけです。
写真だとわかりにくいので、実際に現地を見ていただきたいのですが、周りは山に囲まれていて、低い平地です。
途中に、史跡「舟橋(船橋)」があります。
この舟橋の辺りが、城の侵入を防ぐ堀だったわけですね。
徒歩10分弱で、備中高松城址公園に到着します。
道順は、とても簡単だと思いました。
備中高松城址公園を散策しよう
備中高松城城址公園は、以下のように、三の丸、二の丸、本丸と、やや縦長の造りになっています。
歴史好きにはたまらないですね!
舟橋(船橋)
駅から向かうとまず出てくるのが、この舟橋(船橋)です。
これを見ても、すぐ側まで山が迫っていますが、この辺りは平地ですね。
ここが堀になっていて、合戦時に城内の人は、船で外と行き来していたわけですね。
しばらくまっすぐ北に進んでいくと、備中高松城址公園が見えてきます。
清水宗治公自刃の地
備中高松城址公園の中を見て回る前に、まずはすぐ右横にある「清水宗治公自刃の地」を見ておきましょう!
皆に慕われていたという城主・清水宗治公。どんな方だったんでしょうね。
奥に進むと、この案内看板が出てきます。
清水宗治公の自刃の址は、高松山妙玄寺にあります。
清水宗治公の家臣が、お互いに刺し違えて殉死した場所「ごうやぶ遺跡」
備中高松城址公園のすぐ横なので、一緒に見られますね。
三の丸跡
それでは、順番に公園の中を見ていきましょう!
水攻め築堤跡高さ表示板。本丸の高さが7m。堤防が8.4m。こんなに高い堤防を築かれたら、城は水没してしまいますね。
すぐ横に「三の丸跡」
向かい側に「高松城水攻め図案内盤」
案内板の中はこんな感じです。北側に布陣したのは加藤清正、津田与左衛門、宇喜多忠家。
よくわからん。キレイに塗り直して欲しいなぁ。
二の丸跡
さらに、先に進んでいきましょう。
水攻め音頭の歌詞
城の周りは完全にぬかるみというか、湿地帯ですね。
高松城址公園資料館。開館時間は10時~15時です。
中では、水攻めの模型などが展示されています。こうしてもらうと、わかりやすい。
さらに、奥へ攻め進んでいきましょう。
二の丸跡です。何もないけど…。
宗治蓮
さらに奥へ。天気がいいと風が気持ちいいです。
宗治蓮。水に守られ、水に散った…。
美しく整備された蓮
旬のいい時期に訪れると、蓮の花が本当にキレイです。
本丸跡
さらに進むと、いよいよ本丸跡です
功労の碑
清水宗治公の辞世の句『浮き世をば 今こそ渡れ武士(もののふ)の 名を高松の苔に残して』
清水宗治公の首塚
天聴記念碑(昭和5年、陸軍特別大演習時の「備中高松城水攻めについての御前講演」を、天皇がお聞きになられたときの記念碑)
講演をされた髙田馬治先生の胸像
備中高松城水攻之図
清水宗治公胴塚。宗治公の体は丁重に葬られました。
備中高松城址公園は平坦なので、現地の方にとっては、いい散歩コースという感じのようです。
素朴な何もない公園ではありますが、サッカーしたり談笑したりと、大事な憩いの場です。
残念ながら、天守閣などの城の面影は見ることができませんが、地形を見ているだけで、水攻めはどんな感じで行われたのだろう?と考えることができますね。
ここに織田・毛利双方の大軍勢が集結して、何万もの人が対峙していたと思うと、歴史好きとしては心が揺さぶられる思いです。
蓮に囲まれて癒やされました。
最後に
備中高松城城址公園、いかがだったでしょうか?
天守閣などがあるわけではないので、派手さはありませんが、それがかえって想像力をかき立ててくれました。
現場に来てみないとわからないことが多いなと、改めて感じました。
皆さんもぜひお出掛けになってみてください。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。
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