吉田郡山城(毛利元就の墓所)へのアクセス【広島・安芸高田観光】
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前回は、広島城への行き方をご紹介させていただきました。

 

しかし長年、毛利氏が本拠地(居城)としてきたのは、今の安芸高田市の吉田郡山城です。

吉田郡山城は、中世の典型的な山城で、攻めにくく守りやすい城でした。

毛利氏は、この田舎の山城を拠点に、厳しい生存競争を生き延びてきたのです。

今回は、吉田郡山城、毛利元就・一族墓所についてお話をさせていただきます。

 

吉田郡山城とは

吉田郡山城城は、戦国時代に、中国地方の覇者となる毛利元就の居城だった山城です。

当初は、砦のような小規模な城でしたが、毛利氏が元就の代になって、領土拡大していくにつれ、吉田郡山城も城郭として拡張されていき、山全体が要塞化していきます。

豊臣秀吉が天下統一し、戦乱の時代から経済重視の領国経営が主流となるにつれ、吉田郡山城は交通の便の悪さ、山城として利便性の悪さも重なり、広島城が築かれるに従って、その役割を終えて廃城となりました。

しかし、今でも毛利元就や長男・隆元の墓は現存しており、厳しい戦国時代を力強く生き抜いた毛利氏を思い起こし、今でも訪れる人が多くいます。

吉田郡山城
所在地 〒731-0501 広島県安芸高田市吉田町吉田
電話番号 0826-42-0054 (安芸高田市・生涯学習課)
URL https://www.akitakata.jp/ja/shisei/section/kyouiku/shisekibunkazai/cultural_asset/siseki_kuni/mourisijyouseki/kouriyamajyouseki/

 

毛利元就の版図拡大

毛利氏は西国の大大名というイメージを持っている方が多いのではないでしょうか?

僕も毛利は中国地方の覇者というイメージを持っていました。

(左)元就の三男・小早川隆景   (右)毛利元就

 

豆粒ほどの国人領主

ところが、毛利氏の領土はこんなにも小さかったのです。

毛利氏は、名門の大内氏と新興の尼子氏に挟まれ、いつ潰されてもおかしくない安芸の小さな国人領主に過ぎませんでした。

 

毛利氏・苦難の歴史

しかも、この領地のうちの1/4しか直轄領がなく、他は家臣の領地ですから、家臣にも気を遣いながら細々と生きていました。

その上、父・広元が酒の害で病死。跡を継いだ兄の興元も酒の害で若死。

続いて当主となった興元の子・幸松丸も病弱で、9歳で病死。

さらに家督争いでは、尼子氏に介入され、家中が真っ二つに割れるなど、毛利家は苦難の時代が続きます。

 

元就はできることからやっていった

しかし、元就が家督を継いでからは、周辺の国人領主たちを次々に平らげていきます。

縁組、協定、征服、お家乗っ取り、できることは何でもやっていき、吉川・小早川の「毛利両川体制」を確立していきます。

その課程で、毛利を警戒した尼子軍2万に吉田郡山城を包囲されますが、これを退け、安芸国を統一していきます。

さらには厳島の戦いで大勝利し、主家であった大内氏も滅亡させます。

ついには尼子氏まで飲み込み、中国地方を統一してしまうのです。

元就一代での大事業を成し遂げた拠点となったのが、吉田郡山城でした。

 

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吉田郡山城への行き方(アクセス)

吉田郡山城へは、①広島バスセンターからバスor②JR芸備線「向原」駅からタクシーで向かいます。

山城なので、歩きやすい靴で向かってください。

 

①バスでの行き方

「広島バスセンター」へは、広島電鉄(路面電車)の『紙屋町東』駅or『紙屋町西』駅からすぐです。

広島バスセンターは、駅すぐのそごう広島店が入るビルの中にあります。

 

鯉城通り側(横側)のここからエスカレーターに乗ってください。

広島県内だけでなく、遠距離の高速バスもある広島バスセンター。コンビニやレストランもあるので、事前に食事もできます。

8番乗り場で、72-4『吉田』行きのバスに乗ってください。

安芸高田(吉田)方面の路線図です。

時刻表(吉田と書いてある時刻のバス)を載せておきます。

広島電鉄バス(緑のバス)の72-4「吉田」行きに乗ってください。

『安芸高田市役所前』で降りてください。約1時間30分で着きます。片道1,020円で、SUICAが使えます。

『安芸高田市役所前』バス停から、まっすぐ北西に進んでください。

 

山の方を見ると、一文字三星「毛利の家紋」があります。

この辺りは、交差点周辺のファミレス、コンビニ、ショッピングモール以外は何もないので、この辺りで食事・休憩をとってください。

徒歩8分ほどで、『安芸高田市歴史民俗博物館』が見えてきます。

 

②JR芸備線での行き方

JR広島駅から向かう場合は、9番ホームから「三次」行きに乗ってください。

14駅、約1時間15分で『向原』駅に着きます。片道860円です。

「向原」駅からはタクシーで、『安芸高田市歴史民俗博物館』に向かってください。

 

 

 

 

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安芸高田市歴史民俗博物館

まず、ここで毛利氏についての基礎知識をつけてから、吉田郡山城を見に行きましょう。

吉田郡山城の模型

NHK大河ドラマ「毛利元就」の台本と、脚本担当の内館牧子さん

写真スポット

毛利の鎧

安芸高田市歴史民俗博物館
所在地 〒731-0501 安芸高田市吉田町吉田278−1
電話番号 0826-42-0070
営業時間 9:00~17:00
休業日 毎週月曜日(月曜が祝日の場合、翌日)
祝休日の翌日、12月29日〜1月3日
URL http://www.akitakata.jp/ja/hakubutsukan/

 

吉田郡山城を見て回ろう!

では、順番に見ていきましょう。2時間くらいで回れます。

【郡山城史跡マップ】

バス停の側にあったこの地図が一番わかりやすいと思うので、載せておきます。

左下の「安芸高田市歴史民俗博物館」から、時計回りにまわっていきます。

 

毛利元就公像&三矢の訓跡碑

「安芸高田市歴史民俗博物館」から少し登っていくと、「安芸高田少年自然の家」の敷地内に、写真スポットがあります。

毛利元就公像

三矢の訓跡碑

 

毛利元就火葬場の伝承地

さらに少し登っていって、ここを左折します。

すると「毛利元就火葬場伝承地」が見えてきます。

 

毛利隆元墓所

先ほどの場所に戻って、右方向にさらに登っていきます。

ここの右側の階段を登っていきます。

元就の長男・隆元は当主として力を発揮しましたが、尼子攻めの途上、41歳で急死しました。

 

毛利元就・一族墓所(洞春寺跡)

さらに登っていきましょう。

この鳥居をくぐって、少し登っていきます。ここからはマムシなどのヘビに気をつける必要があります。

ここから毛利一族の墓所になります。

ます中段あたりに、4つの墓があります。左から、①兄・興元、②興元の子・幸松丸、③元就の長男・隆元夫人の墓、④先祖合墓です。

さらに少し登ると『百万一心碑』。人柱に代えて埋めたと伝わっています。

「一日一力一心」とも読めるようにしてあり、日々みんなで心と力を合わせれば、何事も成し得るとの意味が込められています。

 

そして、毛利元就の墓。命日である7月16日だけ、この中に入れることができます。

中を少しだけ撮ってみました。

 

吉田郡山城・本丸

毛利元就の墓所を見たら、さらに本丸を目指して登っていきましょう。

登っていくのは、けっこう大変です。

かなり登ってきましたが、あと350m。

 

吉田郡山城・本丸近辺

本丸の少し下、「御蔵屋敷跡」に着きました。

御蔵屋敷跡のすぐ近くにある「釣井の壇」

本丸の下をぐるっと取り囲むように、屋敷や砦があって、細い道を歩いて行きます。

砦のひとつ「釜屋の壇跡」

そして、三の丸跡

さらに進むと、二の丸跡

そして、本丸に向かいます

本丸跡。35m四方ほどしかありません。

本丸のすぐ上に、櫓が建っていて、見張りがいたそうです。

これだけ山城を登るのが大変だと、単純な力攻めでは落とせなかったでしょう

みんなが山城だったことが、戦国時代が長引いてしまった一因でしょうね。

だから、戦国時代の後半は「兵糧攻め」みたいな攻め方が主流になって、大大名にどんどん吸収されていき、そして決勝戦で勝った大名によって天下統一が進んでいったのかなと思いました。

 

吉田郡山城の下り

それでは下りていきましょう。

下りていく途中にも、細かいのがいろいろあります。三の丸石垣。

けっこう広い満願寺跡。

ちょっとわかりにくいかもしれないですけど、堀切。ボコッと凹んでいるので、歩きにくい=攻めにくい。

郡山城から見た安芸高田市内。右側が攻めてきた尼子軍が本陣を張った青光山。こんな近くに2万の大軍が迫っていたら、そうとう怖かったでしょう。

さらに下ると、旧本城への案内板。

旧本城は行かなくてもいいかなと思います。別方向に下りていって、また戻ってこないといけないので、費用対効果が悪いです。

旧本城跡。狭い場所に、旗と看板が立ってるだけでした。ガッカリして、もとの場所に戻るのがすごくしんどかったです。

元の場所に戻って、さらに下ると、この展望台があります。バス停から見た毛利の家紋がこれです。

さらに下りていくと、郡山公園。

さらに下りると、清神社。

かなり太いご神木

帰りは、来たときの向かい側の『安芸高田市役所前』バス停から広島に帰ってください。

広島バスセンター行きの時刻表

平 日 土 曜 日 祝
05 52
06 07 37 52 07 37
07 17 17 47 17 47
08 17 42 17 42 42
09 17 42 17 42 17 42
10 12 42 12 42 12 42
11 42 42 42
12 42 42 42
13 42 42 42
14 42 42 42
15 42 42 42
16 02 42 42 42
17 12 52 42 42
18 22 12 12
19 02 52 02 12
20 32 12 12

 

最後に

吉田郡山城、いかがだったでしょうか。

こんな山奥から、中国地方をすべて修めていたというのは、すごいことですね。

毛利氏のルーツが見られて、良かったです。少し遠いですが、ぜひお出掛けしてみてくださいね。

最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。

 

 

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