長崎といえば、維新回天の舞台でもあります。
その幕末の歴史の中で、ダントツ一番人気なのは、坂本龍馬ではないでしょうか。
その龍馬が日本最初の貿易商社ともいわれる『亀山社中』を設立したのが、ここ長崎です。
せっかく長崎に来たのだから、偉人・坂本龍馬の足跡を辿っておきたくないですか?
目次
長崎の主な観光スポット
ざっくりですが、長崎には以下のような観光スポットがあります。ここ以外にも、佐世保、平戸、五島列島なども有名ですね。
長崎市内の主な観光スポット
➀グラバー園~大浦天主堂
➁原爆資料館~平和公園
➂亀山社中(坂本龍馬)~眼鏡橋
➃新地中華街~出島
➄長崎の1000万ドルの夜景
長崎市外の主な観光スポット
今回は➂亀山社中(坂本龍馬)~眼鏡橋への行き方について、ご紹介させていただきます。
これを見ていただければ、失敗なく観光していただけるはずです。なお、このコースには、土日祝日にお出掛けされることをオススメします。
坂本龍馬の功績
坂本龍馬の功績を、簡単におさらいしておきましょう。
土佐のそこそこお金持ちだけど、下級武士の家に生まれて、長崎や下関からの珍しい話を聞いて育ち、剣術修行で江戸遊学。
そこで浦賀にペリー来航!これに触発され、佐久間象山の私塾で、砲術、蘭学などを学び、土佐に帰国。
土佐で道場の師範代をしながら、国際事情を学び、尊皇攘夷の気運高まる中、武市半平太らと土佐勤王党を結成。
その後、土佐藩を脱藩し、勝海舟の門下生となり、神戸で海軍操練所設立に尽力、塾頭に。
その後、京都で生涯の伴侶となるお龍と結婚♥
海軍操練所が廃止となったのを機に、長崎で亀山社中を設立。グラバー園の主、トーマス・グラバーとも交流。
薩長同盟の橋渡しも成し遂げるも、寺田屋事件など暗殺の危機が迫る中、薩摩に日本初の新婚旅行♥
亀山社中から海援隊へと発展させた後の、いろは丸沈没事件では、徳川御三家の紀州を相手に、多額の賠償金を勝ち取るなど、周囲を味方にする魅力あふれる人物だった。
その後は、日本を一致団結させ西洋列強に負けない国づくりを進めるため、船中八策をめぐらし、江戸幕府を大政奉還に導くも、いよいよこれからというときに、京都・四条河原町の近江屋で31歳で暗殺される。
というわけですが、めちゃくちゃ濃すぎる人生ですよね。こんなに濃い31年を過ごした人がどれだけいるでしょうか?
亀山社中~眼鏡橋への行き方
坂本龍馬の足跡をたどる旅ですが、僕のオススメのルートは、
➁(土日祝日なら、若宮稲荷神社~亀山社中資料展示場)
➂亀山社中記念館・龍馬のブーツ像
➃寺内町
➄眼鏡橋
というルートです。
山の上から降りて見に行こう!
長崎は坂の多い町ですが、亀山社中も山の上の方にありますので、下から登っていくのはかなりしんどいので、山の上から順に降りて見ていくのが楽ですし、効率のいい回り方です。
バスで山の上にある『風頭山』バス停まで行って、順番に降りていきます。
長崎駅前東口のバス停から出発
まず、長崎駅前東口のバス停からバスに乗ります。このバス停は、Can★Do長崎駅前店の前にあります。
ここで、長崎県営バスの50番『風頭山』または『風頭町』行きに乗ってください。
時刻表(上からの2番目の50番『風頭山』)
『風頭山』バス停~坂本龍馬像への行き方
『風頭山』バス停に着いたら、ここを下っていきます。
ここを右折します。
次に、ここを左折します。
さらに、ここを左上に登っていきます。
舗装された道路を降りていきます。
しばらく降りると、龍馬像の入口が見えてきます。ちなみに、この先、坂本龍馬像は3体あります。
➀坂本龍馬像【長崎・風頭公園】
1体目の『坂本龍馬像』です。
高さ4.7mの『坂本龍馬之像』。「龍馬の銅像建つうで会(現在の長崎龍馬会)」の活動で、全国から募金をつのり建てられました。
現場で見ると、もっと大きくて素晴らしいです。この日は台風が来ていて、天気が悪かったので美しくない…。
気を取り直して、さらに降りていきましょう。
しばらくすると、左の展望台が見えてきます。石畳なので、雨が降っていると、すごく滑りますので、気をつけてください。
風頭公園展望台
現場ではもっとキレイですし、感動的な景色です。
夜景はもっとキレイだと思いますが、この辺りはあまり街灯がなく、真っ暗になりそうなので、気をつけて出掛けてください。
ただし、3月下旬~4月上旬の桜の時期には、ぼんぼりでライトアップされるそうですので、この時期は特にオススメですね。
せっかくの景色なのに…。本当に、台風を恨んでやりたくなりました。さらに降りていきましょう。
ここは「行き止まり?道を間違えたか?」と思って、引き返しそうになりましたが、奥に降りる階段があります。
階段を下り、道なりに降りていきます。
ここを左折します。
ここは、左奥の道を降りていきます。
土日祝日なら➁若宮稲荷神社~亀山社中資料展示場へ
さらに降りていくと、分かれ道で、2体目の『坂本龍馬像』がお目見えです。小さいですが、凜々しい龍馬像です。
基本的には右に行った方がいいのですが、お急ぎの場合は左の階段を降りてください。
・右 折→若宮稲荷神社と亀山社中資料展示場~龍馬のぶーつ像・長崎市亀山社中記念館
土日祝日なら、ここを右折して、『若宮稲荷神社』と『亀山社中資料展示場』に行くと楽しいと思います。
まず、右折した場合から、ご案内させていただきます。
若宮稲荷神社
右折して道なりに降りていくと、『若宮稲荷神社』があります。
ここには、3体目の『坂本龍馬像』があります。
亀山社中資料展示場
さらに降りていくと、『亀山社中資料展示場』があります。
ここは土日祝日と、旧正月を祝う「長崎ランタンフェスティバル」の期間のみ入れる展示場です。
「亀山社中ば活かす会」が運営する資料館で、龍馬をはじめ、亀山社中や海援隊、幕末の志士、幕末明治の長崎の風景などの古写真や、龍馬の手紙の写しなどが展示されています。
無料で入れるのも嬉しいですね。
全国から龍馬ファンが訪れるそうです。龍馬好きならここにいれば、心が通い合うはずですよ。
亀山社中資料展示場 | |
所在地 | 〒850-0802 長崎市伊良林2-9−2 |
電話番号 | 095-828-1454 |
休館日 | 平日 |
開館時間 | 10:00~12:00、13:00~15:00 |
URL | http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/museum/ |
龍馬のぶーつ像
ここを出て、さらに道なりに降りていくと、『龍馬のぶーつ像』が見えてきます。
このブーツは実際に履くことができるのですが、大雨が降った後で、たくさん水が入っていたので断念しました。ついてない…。
『龍馬のぶーつ像』から『長崎市亀山社中記念館』へは、すぐそばです。
長崎市亀山社中記念館への近道
それでは改めて、2体目の龍馬像から『長崎市亀山社中記念館』への近道の行き方をご案内させていただきます。
ここで、左の階段を降りていきます。
ここを右折です。この後すぐ、注意が必要です。
注意!ここを真っ直ぐです!
ここは思わず、左の階段を降りてしまいそうになりますが、降りてはいけません。
ここをまっすぐ行くと『長崎市亀山社中記念館』と『龍馬のぶーつ像』があるからです。
➂長崎市亀山社中記念館
ここが、坂本龍馬たちが実際に暮らしていた『亀山社中』跡です。どうしたって胸が高まりますね。
入ってすぐです。
中はすごく狭いです。こんな狭い中で、みんなで雑魚寝しながら過ごしていたのでしょうか。
幕末当時はすごくオシャレだったでしょうね。というか、周りからすると少し浮いていたかもしれません。
かっこいい!龍馬あんた最高だよ!
長崎市亀山社中記念館 | |
所在地 | 〒850-0802 長崎市伊良林2-7-24 |
電話番号 | 095-823-3400 |
休館日 | 年中無休 |
開館時間 | 9:00~17:00(最終入館は16:45) |
URL | http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/ |
龍馬のぶーつ像
ここまで来たら、『龍馬のぶーつ像』も見ておきましょう。長崎市亀山社中記念館を出て、右折してすぐにあります。
➃長崎市亀山社中記念館~寺内町への行き方
亀山社中から寺内町へは、先ほど気をつけてくださいといった階段をずっと降りていくだけでたどり着きます。
この先を左折します。
左折すると寺内町です。ここをまっすぐ進んでいくと、左手にお寺が次々と出てきます。
ひときわ目立つ赤いお寺「東明山 興福寺」。文化財としても高い価値のお寺だそうです。
赤いお寺「東明山 興福寺」を過ぎてすぐ、ここを右折です。
➄寺内町から眼鏡橋への行き方
寺内町から眼鏡橋はすぐです。ここをまっすぐ川まで進みます。
つきあたり川が流れるここを左折です。
左折して300m程まっすぐ歩くと、眼鏡橋に到着です。
川に映った橋が、メガネ○○のように見えることから眼鏡橋と名付けられたそうです。
インスタ映えを狙って、たくさんの方が写真を撮っていました。
眼鏡橋ちかくのハートストーン♥
実は、眼鏡橋ちかくの護岸の中に、ハート型の石があります。
この石に触れると『恋の願いが叶う』というジンクスがあるのだとか。
「眼鏡橋ちかくのハートストーン」を探すのは、めちゃくちゃ大変です。護岸には、石垣がびっしり並んでいて、ハートを示す案内板などは何もないからです。
下の画像の真ん中にあるのですが、わかりますでしょうか?
ヒント!中島川公園の対岸の、眼鏡橋と1つ川上にある魚市橋との真ん中あたりの護岸を探してみてください。後ろの建物なども参考に!
ここからは、路面電車の「めがね橋」駅がすぐそばなので、帰りは楽だと思います。お疲れ様でした。
幕末、坂本龍馬について思うこと
長崎といえば、鎖国していた江戸時代に、出島をとおして唯一海外と接点があった場所です。
当時は幕府だけが、海外の情報を独占して知っていたわけですが、開国を迫られて、一般人にも西洋諸国のすごさが知られてしまったことで、人々の関心や危機感が一気に吹き出した時代ではないでしょうか。
かといって、ほとんどの人は危機感を持ちながらも、何もできなかったはず。
だからこそ、数々の失敗をしながらも、実際に行動した彼ら幕末の志士たちが、今も注目され続けるわけです。
何だか今と似ていると思いませんか?
今も昭和的な働き方が限界を迎えていますし、科学立国だった栄光はカケラほどもなく、アメリカや中国に完全にお株を奪われているにも関わらず、どんどん保守的になってしまっています。
そして『やっぱり日本はすごい!』みたいなテレビ番組が多いことを見ても、本当は自信がなくて、どうして良いかわからず右往左往という感じです。
再び世界に追いつくためにも若いわれわれは悪しき体質を払拭し、新しいことにどんどん挑戦していかないといけませんね。
幕末に、本当はビビりながらも果敢に挑戦し続けた坂本龍馬たちの意志が、亀山社中→海援隊→日本郵船、三菱商事へと受け継がれ、今の日本においても力強く生き残っていることは、感慨深いものがあります。
今回、龍馬の足跡をたどってみて、あらためて僕も色んなことにドンドン挑戦していきたいと思いました。
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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